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映画38「ヴェラの祈り」(157分)

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https://movies.yahoo.co.jp/movie/ヴェラの祈り/350375/

 

映画を観る前にYahoo!のレビューを観たが,この映画も酷評が多かった。

 

ロシア映画ヨーロッパ映画は独特な芸術的要素が多くて,日本人の感性には合わないのかもしれない。

 

「退屈だ」とか,「不眠症の方の処方箋に」といったコメントが多く見受けられた。

 

これは,この映画自体が実際に退屈な可能性もあるし,映画自体はとても素晴らしいものだが,それに気づく感性が養われていない可能性も考えられる。

 

この映画を素晴らしいと感じた人の感想を知りたいのだが,日本人が観ると大体が退屈だと感じるようだ(自分ももれなく退屈であろうと予感している)。

 

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一応,高評価のレビューはあるのだが,この映画に対する高評価というよりも他のレビューに対する批判的視点からこの映画の自分なりの解釈を述べているといった感じ。

 

そして言葉をこねくり回していている割には,一貫性が無いというか,何を伝えたいのかがいまいち伝わってこないコメントだった。

 

唯一伝わってきたのは,「如何に自分はこういった難解な映画を理解できているか」「この映画を理解できない人と自分は違う」ということをアピールしたいのかな,ということだ。

 

そもそも始めに

 

『これは確実に芸術作品だと思います』

と言っておきながら,次には

 

『「芸術」を規定しようとした瞬間、その方向性は「芸術」から離れていってしまうからです。芸術は主観的なものですから、自分自身の中でその構造を規定すること、そのほかは自分の意見がまとまってくるまでそっとしておくのが正しいのです。」』

 

と続けている。

 

言いたいことは理解できるが,芸術を規定しようとした感想が「退屈」ではなく,ただ退屈だから退屈と言っている方が多いのではないだろうか。

 

とにかく自分が如何にこの映画を他の人より理解しているかをアピールしたくてしょうがない感がすごい。

 

こういう風にこの感想を批判するのは,私自身が批判された気持ちになったからだろうし,この批判が的を得ていないのに上から目線で書かれているからだろう。

 

長くなったが何が言いたいかというと,

「うるせえ。(人の感想にいちゃもんつけるなんて)余計なお世話だ。」

である。

 

相手の批判の底にある意識を感じるのは,自分の中にそういった面があったから(今もあるだろう)。

 

なので,この批判的な感想を書いた人に対する批判というよりも,この批判的な感想を通して見えた自分,そこに投影した自分にしての「うるせぇ。余計なお世話だ。」である。

 

前置きで1000字を超えてしまった…

 

既に映画も始まっている。観よう。

 

(鑑賞後)

 

率直な感想は,お洒落で美的な絵(構図)が多かった,である。

 

性と罪,家族と裏切り,人間らしさをテーマにした映画だった。

 

正直,字幕で見て映画を理解できる度合いは低いと感じているし,この映画が表現していることの1%も読み取れてないと思う。

 

この映画は,静かな行間,間(ま)を中心に構成している映画だと思うので,その国特有の情緒,表現なのだと思う。

 

特に,ロシア映画ベネチア国際映画祭カンヌ国際映画祭で出品された作品(その中でも受賞した作品)は,芸術的な作品が多く,セリフよりも、セリフとセリフの間で語るみたいなところがあるので,それが理解できるようになると楽しめるんだろうなぁと思う。

 

その映画の舞台になっている国の文化や言葉を理解して,字幕や吹き替えなしで見てこそその映画の本質的な良さが理解できると思う。

 

ロシアについて少し勉強してみようかな。

 

2018年11月26日(月) 17:26