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映画6「ブルーバレンタイン」

2011年日本公開のアメリカ映画(112分)

 

以下に、この映画のあらすじを記す

 

『あるカップルの出会いから結婚、そして破局までを描き、サンダンス映画祭カンヌ国際映画祭など世界各地の映画祭で注目されたラブストーリー。壊れかけた夫婦には、『ラースと、その彼女』のライアン・ゴズリング、『ブロークバック・マウンテン』のミシェル・ウィリアムズがふんし、過激な性描写や体重増量も辞さない迫真の演技を披露。10年以上も脚本を練り上げたデレク・シアンフランス監督による、愛が終わる痛みを巧みな演出で紡いだ切ないストーリーが胸に迫る。

結婚7年目を迎え、娘と共に3人で暮らすディーン(ライアン・ゴズリング)とシンディ(ミシェル・ウィリアムズ)夫妻。努力の末に資格を取って忙しく働く妻シンディに対し、夫ディーンの仕事は順調ではない。お互い相手に不満を募らせながらも、平穏な家庭生活を何とか守ろうとする2人だったが、かつては夢中で愛し合った時期があった……。』

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/ブルーバレンタイン/338698/

 

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(鑑賞後)

 

あらすじをあえて加味しないで感想を述べる。

 

映画で上映されたストーリーのみで伝えられたものは,愛し合っていた2人の切ない関係が描かれているように感じた。

 

愛し合っていたのに,月日の流れと共に変化していく感情。

 

愛し合えなくなったことを悲しみ,傷つけ合う2人。

 

進化学的な視点で解釈をすると,若い頃のシンディは自分と自分の子ども養ってくれる男性に惹かれたが,歳を経るにつれて子守に必要な能力に加えて,一緒にいて居心地が良いかどうかという観点が加わってくる。

 

若い頃のディーンは,彼女のことを自分のものにすることで一生懸命だったが,自分のもの(家族)になり,子どももできたことで,生きるモチベーションが「彼女を喜ばせる」から「家族のために生きる」にシフトしたように感じる。

 

それ自体が問題だったわけではないと思うが,シンディは,恐らくもっと自分の意見を聞いて欲しかったはずだし,ディーンが言葉を曲解して受け取ることに不満を抱いていた。

 

お互いの距離感が近くなりすぎたこと,自分と相手の考え方や価値観の違いを認めて許そうとしなかったこと,お互いの欲求をマイルドに表現できなかったことなどが2人がうまくいかなくなった原因だろうと思う。

 

観ていて,シンディに対して「酷いなぁと思う場面があった。

 

それは,若い頃に自分の子ではない子を産むことを受け入れ,一緒に家族になる決意をしたディーンに対して「もう限界!あなたのことは愛していない!」と言い放ったこと。

 

一瞬,「都合いいなぁ」と思ったが,そう言い放たなければならないくらいに追い込まれていたのだろう,と解釈した。

 

なので,最初にも言ったが,この映画のシーンだけではシンディとディーンの関係性がどうして行き詰まってしまったのか,どうすれば快適な関係を築いて家族でいられたのか,は分からない。

 

見える範囲で判断してしまうなら,ディーンはシンディの気持ちを一旦受け止めて,彼女の言った言葉を自分の中で消化する必要があると思った。

 

自分の中で彼女の言葉を異なった解釈(シンディが伝えようとしたことではない解釈)をして受け取っているように感じた。

 

それは、彼自身の生育環境(両親が不仲で離婚。母には違う男ができ,彼が10歳の頃に家を出た。)や,学歴コンプレックス(彼女は勉強熱心で医者を目指している。彼は高校中退)を抱いているようだったし,ともかく自分と彼女が釣り合わないことを彼は自覚していた。

 

彼の彼女に対する解釈の歪みは,彼自身の彼女に対する劣等感からくるものだろうし,彼女がその劣等感を相手にしないことに不満を抱いていたのだと思う。

 

シンディに落ち度があるとすれば,ディーンのことをもっと理解しようとすることが必要だったと思う。

 

彼の全てを理解して受け入れる必要はないが,彼の劣等感を理解してあげることができれば,彼女は賢い人なので,行動や発言も変わっていたと思う。

 

彼女は彼のような劣等感を理解することができない。

 

それは,彼に興味がないということではなく,生まれ育った環境や,価値観,考え方があまりに違いすぎて,彼のバックグラウンドを理解できなかった。

 

彼は彼自身のプライドが原因で,自分の弱さを見せることができなかった。

 

それは優しさではなく弱さだ。

 

それを優しさと履き違えたところに彼の落ち度がある。

 

相手のためにしていると思っているそれは,自分のためだという認識がなかった。

 

綺麗な音楽と映像で描かれているので見落としがちな視点だと思うが,感情的視点ではなく,論理的な視点に立つことで見えてくる視点を大切にしたい。

 

そもそも自分を見つめることができないが故に築き上げられた関係では、崩れるのは必然的だったのだろう。

 

感情は緩やかでいい。

 

関係性も感情も緩やかに続くことを願う。

 

感情だけで動いていては,人生の波が大きく,一瞬大きなものを得たように感じても,そのうち大きなものを失うだろう。

 

最初は,切ない感じの恋愛映画だと思って,感情的な面で共感したり感情移入して観ていた。

 

しかし最終的にこの映画には、批判的視点の解釈をつけた。

 

それは,この映画から何かを学ぼうとする姿勢からくるものだ。(映画を観てる時は,ただただ感情移入して,自分を登場人物に投影して見えいたけど)

 

これでひとまず,映画の記録は終えて,次回からは読書の記録を載せていきたい。

 

既に,2冊ほど読み終えた書籍があるので後ほど記録する。

 

最後にMoeka Kotakiさんのレビューを載せて終わる。

https://theriver.jp/blue-valentine-review/

 

2018年10月3日(水) 11:44